じぶんかたろぐ-自分語log

2012年~出産子育てスタート。自分を語るlogという意味も込め【じぶんかたろぐ】として綴ります。

訃報

最終アップデートは
およそ2週間前でした。
↓↓

最後のメダカ稚魚が
2日前に死亡しておりました。

最後の1匹でしたが
1cm程まで大きく健やかに成長して、
元気に泳いでいるように見受けられたのですが、

残念です。

稚魚達が
ある程度大きくなっていたのにも拘らず
連続して死んでいった頃に
インターネット上を少し調べてみて、

稚魚がどんどん死ぬ、みたいな事を訴える方が多く、
私の場合は
ちゃんと育てられている方なのかも、と思えたり。

そういう所に書かれているような飼育方法は
クリアしているように思えたのですが、、、。

3カ月以上の間、
手間暇かけてコツコツ一生懸命育て上げたつもりでも、
最終的に「そして誰もいなくなった、、、」状態を
経験する結果になりましたが、

それでも春にまた成魚メダカが産卵したら、
再チャレンジするんだろうなぁ。

産卵された卵を放置して
腐って行く様子なんて見ていられないし、、、。

拾い上げたら尚更、
それを棄てられるわけがありません。

繁殖目的ではなくても、
目の前に卵が現れたらそういう対応になってしまいます。

それを考えると、
昨年私に子メダカ達を譲ってくださったおじさんは、
本当に繁殖のプロだなぁ、と思いました。

成魚チームは皆元気です。
ヒメダカ投入後も
脱落者は1匹も居ません、
屋内、屋外チームどちらもすこぶる元気です。

アコももうすぐ2歳。

メダカちゃん、メダカちゃん、と
しっかりメダカを認識していますし、

メダカの赤ちゃん、というのも
しっかり認識していました。

我が家には庭はなく
土となるとバルコニーの植木だけなので、

今までのメダカのご遺体は
全て大きめ植木鉢の空いている所へ
埋葬しています。

最初オットに「えっ?」みたいな反応をされましたが、
何かおかしいですかねぇ、これ?

別にお墓みたいに札も立てません。
だから具体的にどこに埋まっているかなんて
判らなくなります。

土に還ってくれて
草花の養分になって
命が草花に受け継がれて行けばいいと思っています。

この考え方、おかしいですかねぇ?

メダカの遺体を持ってエレベーターに乗って
わざわざ地上に降りて、
全然身近じゃない土壌に埋める処理なんて
想像するだけで冷たい感じです。

死亡した小さなメダカを
スコップで土に小さく穴を掘り
そこに埋めて土をかけ、
手を合わせる所までアコに見せています。

アコも手を合わせます。

「メダカちゃん、ねんねしてるね。」と言って
後日になっても、
犬のココホレワンワンじゃないですが、
ここにメダカちゃんが居る、と教えてくれます、笑。

生き物の命が途絶えるのは
共通して悲しく切ない気持ちになるものですが、

なんというか、
メダカが10匹、20匹居ても
個々をアイデンティファイ出来ないし、
戯れて遊んだりとか、
手にとって洗ってあげるとかのお世話もしないし、
(亀はありますが。)

動物の種類や接し方で
悲しみの度合いってだいぶ変わります。

メダカと犬とでは
やっぱり違います。

それでも、
それでも、
メダカのあの表情の無いような目でも、
同じように心臓があって血があって
脊椎があって肉があって、皮があって、
脳もあって、、、小さいけどね、、、。

カルシウム小魚の小袋で
カタクチイワシ煮干しを何匹分も
数えもせず手の平に出して、ばくばく食べているのに、

少し立ち位置を変えて考えるだけで、
こうも感じ方が変わってしまいます。

それでもなんか、
命は繋がっていく、みたいな感じ方、考え方を
アコに教えられたらいいなと思います。

仏教ってこういう考え方でしたっけ?
別に何教でも構わないですけど。