じぶんかたろぐ-自分語log

2012年~出産子育てスタート。自分を語るlogという意味も込め【じぶんかたろぐ】として綴ります。

勉強というのは、本来教わるものではなく、自分で学ぶもの

今日の七田の金言がとてもシンプルで、
そーだそーだ!!と思う内容だったので、記録。
勉強というのは、本来教わるものではなく、自分で学ぶものです。

解説
予習や先取り学習をして、内容を理解した上で学校で勉強を習うと、わかっているところは理解が深まり、わからなかったところは集中して先生の話を聞いたり、質問したりできます。
ひらがなやたし算九九、かけ算九九といった基礎学力を、小学校に上がる前に身につけておくと、学ぶことが楽しくなります。
「自分でやって、わからないところを先生から教わる」という学習方法が重要です。
頭の中に何もない状態で授業を聞いても、なかなか頭に入っていかないものです。

そうなんですそうなんです、そうなんです。

同じ事を思っていても、私が言っても説得力は無いけど、
こういう有名な人の発言という形だと、皆が聞く耳を持つものです。

「勉強」なんていうけれど、
どんな呼び方であろうと
生きていく上での知識や知恵を付けていく事であって、

それに根本的に必要な事は「経験」であって、

知識や知恵だけを、例えば先生だろうと本だろうと、
自分自身以外の存在から「教えられる」だけでは
決して完成形では無いと私は思います。

凹凸の凹が知識だとしたら
凸が経験で、
凹凸がテトリスみたいに組み合わさってひとつの◻︎になって
初めて、本当の意味で自分の糧となるのだと思います。

そうして出来た経験に基づく知識であったって、
使用頻度や取得時期によっては
忘れられて、記憶の底の方にしまわれてしまう事もありますしね。

だから日々の「なんで?」は大歓迎。

時々こちらが答えているにも拘らず
何回も繰り返し聞かれて、
オイッ!!!ってなる時もありますが、

なんで?は原動力。

興味を抱くから、疑問が生じて、答えがわかってガッテンとなるプロセス。

現代は
文字で検索してすぐ答えが出てくるような世の中で、
それはそれで便利ですが、

やっぱり身体でアナログに体感して経験していく事が大事だと思います。

そして、あらゆる事柄を事象をリンク付けて、
自分の頭の中に集大成を構築していくというか。

自由に考えて欲しいです。

今後、アコがどういう先生に出会うかわかりませんが、
学校でも習い事でも当たり外れはありますからね。

世の中の「先生」という職業になっている人でも、
考え方も様々ですしね。

必ずしも教科書に従わなくてもいい、
そこにもっと現実で目の前で体験できて
同じ理屈を学べる題材があるのであれば。

私は母親ではありますが、
一緒に実践学習をする先生(おこがましい、笑)でありたいです。
先生、、、先輩ぐらいにしとこうかな、笑。

「予習」っていう言葉も嫌いなんですよね。
要するに「準備」ですよね。
「復習」っていう言葉も嫌い、笑。

そういう、勉強勉強した言葉群が全般的に嫌です。

そんな言葉達は
勉強という言葉に合わせてセットされている物に過ぎない。

予習も復習も全部
「経験」という事でクリアできるように、
育てて行こうと思っています。

日々の生活に題材はゴロゴロしているので。