じぶんかたろぐ-自分語log

2012年~出産子育てスタート。自分を語るlogという意味も込め【じぶんかたろぐ】として綴ります。

誕生日とか受け止め方が超シンプルドライ

私は近年、自己の誕生日に対して
極めてシンプル且つドライであります。

世間の年中行事(クリスマスやらヴァレンタインやら、ハロウィーンやら、、、)と
同じで♪happy birthday to you〜♪と歌う様なノリにも、
あまり波長が合いません。

Around fourty に本格参入したからと言って、
決して
歳をとるのが嫌だと言うわけでは無く、

自分の誕生日=母が私を産んだ日。

○年前の母へありがとう。
○年経って、おかげさまで生きています、ありがとう。


以上。

って感じなんです。

何も間違っていないし、
悪い事でもないと思います。

ただ
他の人に祝ってもらう感覚が
ちょっとわからなくなっていて、

というのも、
昨今
世の中の物事の本質や本音ばかりに焦点を当てていて、
生きている以上誰にでも1日ずつ与えられた誕生日という設定が、
周囲にとって私という存在の誕生日の何がめでたいのか良くわからなくて、

そんなの深く考えなくていいんだよ、
形だけでも素直にやっとけばいい、みたいなノリもなんか嫌で、

なんか心の中でヒッソリ

母が私を産んだ日だ。

と思っている、それに尽きる。

現在2歳11カ月のアコ誕生日も
2週間ちょっとまで迫っています。

アコの誕生日は
私がアコを産んだ日。

まぁ、アコにはhappy birthday♪って歌うけれども、
でもそもそも、なんで日本語で誕生日おめでとう的な
ポピュラーな歌が無いのか、その現実にイラっとする今日この頃。

何でもかんでもアメリカかぶれしやがって戦後日本!と、、、。

もちろん我が子の誕生日は
私にとって重要な意味があるものには間違いないのですが、

なんか、いつからか、
自分が出産を経験してからか、
主語がおかしいんだよな、、、。

誰々が「誕生した」日ではなく、
誰々を誰々の母が「産んだ日」としか考えられなくなったのです。

誰かとその産みの親はずっとセット。


誰かの誕生日を
誰かの母親の出産記念日としか思えなくなって、


誰かの誕生日と聞いても
そのお母さんを思ってしまう思考回路。

fbや他のWebサービスでは誕生日を公開しておくと
繋がっている人達に、
「もうすぐ○○さんの誕生日です」
「明日は○○さんの誕生日です」
「今日は○○さんの誕生日です」とか通知が出てしまうから、

それがなんだか「踏み絵」みたいに思えて
面倒臭いと思う気持ちがあります。

上記の思考回路で、
「あぁ○○さんのお母さんが○○さんを産んだんだなぁ」って思うだけで、
そのお母さんと面識があれば思いもまた少し違うのですが、
ほとんどのケースはそうではないので、

自分に対してさえこんなにシンプルドライなので、
他の人の誕生日に対して、そんなに熱い想いは生まれないのです。

だって生きている人には誰にでも誕生日ってあるし。

皆、平等に持っているし。

なんか、、、
その人とそのお母さんがパーソナルに祝い合えばいい、みたいな感覚。
(個人的には、お父さんへの想いは弱めですが。)

静かに、
ありがとうございました、って思うのですよね。

プレゼントとかそういうのも別にどーでも良くて。

表面的なお祝いっぽい事だけをしていると、
他の年中行事とギフトマーケティングのこじつけと導線上に思えてしまう。

プレゼントあげなきゃ、とか
おめでとうって言わなきゃとか、


自分がこんな考えだから、
自分の誕生日を隠しているわけではないですが、
最近ビジネス目的で再開したfbでは伏せてあります。

踏み絵みたいな通知が一斉に多くの人に届くのが嫌で。


これはひねくれている、と言われるのでしょうか。
オットの誕生日も、当然、オットのお母さんに焦点が行ってしまいます。

私は
誰の誕生日も、そのお母さんを祝う気持ちし持てなくなったのか、笑。

じゃあ、男の人は絶対に祝ってもらえないね、笑。

自分の誕生日だって、
自分なんかは別にどうでもいいんです、
自分を産んだ人にありがとうなんです。

で、
結局
恥ずかしいから、
誰にも言わずに、
知っている人は知っているけど、
でも、早く過ぎてください、って思います。

皆あるじゃん、順番が来るだけじゃん。
年に一度にどわっとくる、
いろんなところからの割引券とか優待券やポイントとかも
あんなの順番じゃん、おめでとう〜なんて
なんか浅い、浅い。

私は、
ちゃんと誕生日について受け止めたいだけ。

金使わされるために誕生日はあるのでは無い。
クリスマスだのハロウィーンだの、ヴァレンタインも全部ね。

さて、アコの3歳の誕生日はどうしようかなぁ。

とりあえずお母さんのお腹からアコが出てきた日、とは言うけれど、
なんかさ、別に特別な記念日でも何でもないのに
日頃からダラダラ物も買い与えているしさ、
じゃあ誕生日はどうすんだっ!?って感じよね。

誕生日プレゼントがあって当たり前と思うなよ?ってね。

日本人サラリーマンの「ボーナス」の感覚と同じで、
ボーナスっていう意味は、追加でオマケ的に来るものであってだねぇ、
当然あるものと思っていては大間違いなわけでねぇ。

あ、因みに
昨年のクリスマスは、
クリスマスの本当の本当の悪魔的な意味(キリスト教云々以前の)を読んで
モヤモヤしていたのと、準備不足も重なり、
アコがたまたま余り良い子では無かったので、

散々しまじろうとかでクリスマス洗脳されていますが、
「アコがお利口さんじゃなかったから、プレゼント無い!残念だったねぇ来年はがんばろうねぇ」
という事で片付けてあります。

聞き分けは良い子供なので、それで納得しているわけなのですが。


ケーキ食べて〜、とかも
食材とか砂糖の悪とか気になり始めると、
別にたまにならいいじゃん、を通り越して
全然積極的な気持ちが生まれなくて、

同じ金額をかけるのであれば、
もっと意義深い文化的活動を記念に行いたい、って思うんですよね。

3歳なんてどうせ忘れる、とか
そういう気持ちも絶対に持ってはいけない。

私、別に病んでませんけど、
真面目なんですよね、そうそう。

真面目なの、意外と。
そういう事。

サラッとテキトーに流せないの。