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じぶんかたろぐー自分語logー

30代半ば出産子育てでガラリと変わった日々。アコという2012年2月生まれの娘が1人おります。レールから脱線しまくって生きてきたがまっとうな人間をめざして頑張る(?)自分を語るlogという意味も込め【じぶんかたろぐ】として綴ります。長文語り系はhttp://trigger.hatenablog.comにて別途綴っています。

白黒ハッキリに対するグレーゾーンの意味の個人的解釈

https://instagram.com/p/2gfc73PJCY/

アートの世界じゃなくて理屈的なグレーゾーンとか、グレーっていう表現について考えています、最近。

私は子供の頃から今まで
  • 白黒ハッキリ人間
  • 表現がストレート
  • イェスかノーか
みたいな印象を周囲に与えてきたようですし、
またそう言われる自覚もありました。

その為に、
物事の無責任な曖昧さや、
物事を有耶無耶にする姿勢とか、
なんかモヤモヤハッキリしない、
誰も責任を取らない、見て見ぬフリの暗黙の了解、
誰も触れない、敢えて触れないとか、

なんか「グレー」とか
「グレーゾーン」と言って片付けられる物事に
非常に不快感を覚えていました。

なんて都合の良い表現なんだろう、と。

その状況のビジュアル的イメージが
画像上側の物です。
その境界線をスマッジするように、
コスコスしてなんか、境界線隠滅みたいな
良く判らなくしている、ごまかしている、そうした結果、グレーになる、、、みたいな印象。

でも、近年私自身も
精神が多少成熟してきて、
世の中が全て、白黒ハッキリでは無い事が解ってきて
「人それぞれ」
という事を尊重できるようになって来ました。

物事を比較する上で、
題材は様々な要素があり、
やはりそれぞれの要素の濃淡の組み合わせで、
その人の人となり、個性が構築されるなぁ、と。

政治的志向、飲食的嗜好、
音楽性、芸術性、知的活動量、
宗教的思想、金銭的価値観、動植物、自然に対する価値観、
教育、子育て、家族関係、グローバル関係、経験値、年代、時代、
性格、、、、その他もっといっろいろ、、、。

だから、そういった無数にある項目の組み合わせの中で、
どんな両極端が存在して、
何をもって真っ黒で、
何をもって真っ白かという定義付けさえ難しいのだけれども、

なんか、、、言葉でうまく表現出来ないけれど、
いろんな考えの人が居るなぁ、、、と思うわけです。

ある議論では同じ意見に属している同士でも、
別の議論になったらお互いが賛成と反対意見に分かれたり、
いろんな組み合わせの考えがあって、

(例:同じ政党を支持していても、
音楽的嗜好がジャニーズファンとアンチジャニーズファン、、、とか?
くだらん例えですね、汗)

真っ黒でも真っ白でも無い、
ちょっと黒っぽいグレー、
ちょっと白っぽいグレー、
もっと黒に近いグレー、
もっと白に近いグレー、
その間のグレー、
その間と間のグレー、とか、、、
なんか、すごく細分化されて、
そういう集合体がグレーゾーンというか、
グレーのグラデーションを生み出すから、
やっぱり、そこがグレーゾーンと呼ばれる所以なのかなぁ、とか、

これ、余り他の人に伝わら無いかもしれない&
結構、は?どうでも良い、と思われちゃうかもしれないんだけども、

自分に気付きって思うのが、
グレーっていうのは都合が悪いから黒と白をワシャワシャワシャー!っとかき混ぜて作られる物じゃなくて、
元々、自然に様々な濃度のグレーがいっぱい存在している結果なのかなぁ、って、
決して無理矢理、逃げるように作った色でも無いのかなぁ、って、

意味わかる人居るかなぁ、私の言いたい事。

いろんな考えが存在すると、
様々なグレーは自然に発生して存在しているもんなんだなぁ、と、、、

どこに基準を置くかにもよるけど、
世間の人々の考えを黒から白のグレートーンで表現したら、
何種類のグレーが出来るのかなぁ、、、って、

どうでも良く無いのよね。
統計や世論調査の結果数値も信憑性に欠けていたり、
捏造される事が驚きで無い現代、

なんか、、、
見てみたいのよね、世論の本当のカラー。

私も間違いなくどっかポイントのグレーだ。
白黒ハッキリ人間なんて言われ続けてきたけど、
こういう考え方をし始めたら、
グレーゾーンを形成する一点だな、自分もって思います。

別にそれは自分を曖昧だとか有耶無耶、と責めているわけでは無く、
私もいろんなミックスジュース的な意見を持った一個人なんだな、と
再認識しているっていう事で。