じぶんかたろぐ-自分語log

2012年~出産子育てスタート。自分を語るlogという意味も込め【じぶんかたろぐ】として綴ります。

産みの母親、育ての母親

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(上記キャプチャ画像は日テレサイトさんからお借りしました)

昨夜夜遅く皿洗いをしながら
たまたまTVを付けたら
こんな番組がやっていました。

マザーズ

産みの親は誰ですか。NNNドキュメント 2016年4月24日 160424「マザーズ~産みの親は誰ですか。」語り 余貴美子 - Dailymotion動画

最近あまりボロボロ号泣していなかったけども
(私はドライなのと、涙腺緩みポイントが一般的なものから少しズレもあり…)
ひっさびさに号泣、デトックス。

皿洗いしながら、ど泣いていました。

何かがすごくこみ上げてきて。

途中から観たのだけども
上記画像に出ている男の子、4歳って言ってたかな?
アコぐらいかな?

産みの母親に対面する場面で、
なんかもう可哀想で、可哀想で、
経済的事情で育てられないという事で
こういう事に成っているらしいのだけども、、、

世の中の
自分の赤子を殺すだ、捨てるだ、虐待するだの鬼畜母親よりは
何百倍もまともだとは思うけども、

「じゃあね、また会おうね」とか本当の母親に言われて、
状況がわかっているんだか無いんだか、
本能に響くものがあるのか無いのか、
男の子の表情が絶妙過ぎて、心の中が全て顔に出ているようで、
嬉しような悲しいような切ないような戸惑い、、、

4歳だよ、まだ、、、もう、、重たい、、、。

自分に選択肢は無くて、、、
大人達が良かれと思って決めた流れに素直に従って
無邪気に純粋に生きている彼。

実の母親が、じゃあ又なんて言って
車でブーンって去って行っちゃう、、、ぇえええええええー!!!

育ての親になる方々は愛情いっぱい、とってもいい人、
でも、でも、、、でも違う。違うの、それが悲しくて、
私はわんわんと泣けてしまった。

私の場合、
これがそのまま父親ヴァージョンになります。
会った事が無いからちょっと違うか。

私は物心ついてから実の父親に会った事はありません。
記憶にありません。
そしてこの先も、
彼が死んで、私が呼ばれるまでもしかして会えないかもしれません。

でも、母親と父親ってやっぱ違って、
父親だったらまだ大丈夫な気がする。

父親とは遺伝子のつながりはあっても、
なんかこう物理的な肉体的な、あの腹の中からの付き合いが無いからなのか、
なんかやり過ごせる気がします。

私には父親が2人居るって事よね。
別にまぁいい、って感じ、

でもそれが母親となると、
瞬時に全力で感情移入が始まって
あぁもうダメ、、、ってなる。

実の母親がもう亡くなっていて会えないとかじゃなくて、
目の前に生きて、元気な姿で現れて、
幸せになってね、元気でね、なんて、、、言われて
置いていかれる気持ち、、、

計り知れない、もう、また思い出しちゃったあの子の顔。

恋愛ソングの歌詞でもあるよね、
ドリカムでも昔あった

♪幸せな〜恋を、と言うなら
どうか教えて〜
あなた無しで、何処にあるの?


胸がキューんと締め付けられました。
考えさせられました。
否定したいわけじゃない。

その時点で
できる限りのベストソリューションなのは解っている。

でも、もやもやが消えない、この気持ち。

主人公はその育てられない母親じゃなくて、
その産まれた子どもにして考えちゃうと、、、。

私自身もまだ自分の境遇にもやもやを抱えて生きているけども、
あの男の子に今後、幸あれ、と願うばかり。