じぶんかたろぐ-自分語log

2012年~出産子育てスタート。自分を語るlogという意味も込め【じぶんかたろぐ】として綴ります。

おもしろいほどコメントが0👻🌀

このブログ開設当初とか

頻繁に更新していた頃の記事一覧を

ざっと見返してみた。

 

今は無きSimplogっていう方で

コメントやり取りが完結していたのか

いや、それにしてもブログコメント0っぷりよ💦

 

現実の友達が複数と

読者さんも数人。

 

でもスター専門の読者さんも居たなぁ。

 

読者数82となっているけど

どういうことになっていたんだ?

 

ここを離れて以来

InstagramTwitter

ソーシャルネットワーク感を味わって来て

あらためてこのコメント0状況のブログを見ると

 

自分でちょっと、え?ってなるけど

 

でも…昔は淡々と独り言(そして長い)を綴りたかっただけなんだろうなぁ。

交流を求めていたら、あんなにコメント0続きだったら

心折れてやめとるもんね?

 

今でもフォロワー稼ぎとかは好きじゃなくて

少数でも質重視なスタンスではあるんだけども。

 

でも私、Twitterでもアンチにいじられるのよね、笑。

フォロワー4000人以上いるくせに

全然コメントが付かん…とか。

 

もうそのフォロワー数云々っていう基準のつけ方からし

私の思想にはそぐわないんだけど

 

大体私のTweet数が1日何十件もあったり

(在宅でPCで仕事しているので、一緒にTwitter画面を開いていて

隣の同僚の代わりに話しかける状態でTweetしていると思う)

件数が多い且つ毎度長文なので

 

世間では嫌われるタイプなんだと認識しています。

 

でもさ、自由だし

世間に気に入られるようなアウトプット量に合わせていたら

私の中がパンク自爆するので

自分に与えられた場を

自分のペースで使う権利があると思うんだけど

 

Instagramでもそうなんだけど

日本人ってなんでいつも「嫌われないために」

「気に入られるように、好かれるように」という風に

なんかルールを作って、そこに集団で当てはめていくんかな…と思う。

 

例えば、長文は嫌われるとか

連続投稿は嫌われる、とか。

 

どんだけ承認欲求ベース過ぎるん?と思うよ💧

 

思い返せばインターネット初期の方が

温かみのあるコメントのやり取りがあったけど

 

昨今は(というか既に過去9年も?)

情報だけ取って行くのが当たり前

対話するなんて面倒臭いっていう人が増えたよね。

 

だって、タイパっていう概念が今の若者のスタンスの主流らしいしね。

合理性と効率、無駄なやり取りはしない。

 

私、占い鑑定とか何人かに言われてきたことがあって

万人受けはしないけど、その代わりにコアなファンが付く…って。

 

でも実際そうなんですよね。

 

だから今の、数字に支配されている人ばっかりが増えて

フォロワー数稼ぎたい(売買もされている)

フォロワー以外にも

多い数字=人気 と概念が短絡的に固定化されてきている社会が

怖いな~と思っています。

 

数字でしかあらゆるものの質を判断できなくなるのって

なんか…いろんな電化製品に依存して

急に電気使えなくなった時に、さてどうする?みたいな感覚というか

 

数字依存し過ぎて、じゃあ数字という基準がなくなったら

思考能力や感性は消え去っていてエラー状態になるイメージだな。

 

また新たないい出会いがあるといいなぁ~

昔よくコメントくださった方とは

親子同士でご対面したんだよなぁ~

こちら愛知、向こう東京で。

 

懐かしい★